写真の偽善性

写真は「盗人稼業」という大前提はある。写真家の写真には常に「偽善」がある。写真は誰かのため世の中のために撮ってはならない。ただ自分1人のため写真を撮らなければ「写真」は悪意を剥き出しにする。作為は「偽善」からやってくる。ピリッツァー賞しか獲れない写真ジャーナリズムに何の写真の期待しないこと、そして、誰にも見せない個人的な写真を撮る。そこに写真の真実が必ずある。