2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧
ごくまれに、プロでもなく、文学者でもなかった人が「生きた言葉」を綴ることがある。苦難に立つ人にしかできない表現。生き方に気づくのは、言葉の錬金術を可能にする。
やる気あれば、携帯カメラ1台で表現は無限にある。
アメリカの成人雑誌では性器写真も「表現の自由」に含まれている。ラリーフリント編集長の裁判勝利の結果です。日本では荒木経惟の写真が芸術的なので、性器写真の表現の自由を獲得できる。
古本屋で今、高い、写真時代
ホイッスラーであったか?確か絵の注文主に絵が高いと、訴えられた。馬鹿な画家が言う。「この絵は一晩で描いたもの、ですが、ワタクシの全人生をかけて描いたのです。」そして画家は無罪で大金をいただいたって話。あのさ、弁当屋のおばさんも、全人生かけ…
「美」なんて、こんな曖昧でいい加減なものはない。画家が絵に美的価値なんかつける権利はねえ!材料費に時給千円ってのが、普通の価値だ。俺は30分で絵が描けるから2千円でも、もらい過ぎや。馬鹿アーティストが絵を描いて、キチガイじみた値段で売る。…
俺が暗室で焼き付けした写真の基本料金は6っ切サイズが二千円。で、全紙は5千円だ。アーティストがカメラ持つと、オレオレ詐欺師より恥知らずな商売するね。一般的にそーいうの「金銭感覚の麻痺」って言う。だろ?蜷川〜っ!?
小沢剛の写真1枚が〜150万円する。恐怖のアートだな。だから一般人はアーティストを怖がるんだよ。森山大道でさえ1枚の写真を30万で売るというのに、キチガイが怖がるのが馬鹿アーティストだ。ペラペラの写真が150万円!キチガイ写真家の俺もびっ…
江戸時代のファーストフードであった寿司は百年で高級になった。俺みたいに、スーパーマーケットのパックの寿司を「美味しい」なんて言ってると馬鹿にされる。高級だった写真は百年で「お子様向け」なファーストフードになった。俺みたいにアッジェやベロッ…
おそらくデジタル時代、アッジェもベロックも写真は辞めたろう。しかしマン・レイっておっさんは俺と同じようにデジタルでも誰もやってない写真の実験続けたはずだ。森山大道も中平卓馬も「正論の人」だが、正論こそ写真というものを無力化させてしまうのだ…
まるで戦車の迷彩のようだね。汚ならしい〜じゃないか!蜷川のスノビズムが丸出しで、汚ならしいのだよ。
写真に価値を求めなければ、写真の実存的な意味は必ず出てくる。等価もフィクションであることに、今、は、写真家は気づかねばならない。「写真」というのは所詮ツジツマの合わないことばかりだ。無名性?って言う森山が、看板写真やっているという大矛盾を…
今、ニュース見る。「私は365日、24時間、都民のために働いているんです」はてな〜、自慢か?それで給料は1円も貰わない。と、言えば、立派だが。桝添さん、よく聴け!ほとんどの芸術家は「立派な」働き方をしてるんだよ。
言う。大学なんて行かなくても、一流なプロフェッショナルから、学ぶ方法はいくらでもあります。俺、高校中退の金無しだったから、野見山暁治や森山大道の家に行って、押しかけ生徒になり、タダで絵と写真の勉強させていただきました!
アンチ・ウォーホル・スーパースター!!おい、ダメな画家は誰や?「決まっている。ピカソとダリとウォーホルだよ。」
な、ワカルだろ?写真をアートにしたらツマラナイ。
写真を撮るのはかまわない。マンコでも死体でも、好きなように撮りゃ〜いい。しかし、「写真家ってのは、それ自体が、恥じ、なんだ。」もし写真家になりたいなら、写真は最も卑怯なメディアであると自覚しなさい。「恥」を知らず写真を撮る人を「カメラオタ…
「朝日新聞やNHKを見ている人」を冷笑する森山大道さんです。ん〜、実は俺は朝日新聞やNHKをよく見る男なんだよ。
「一切の冷笑を殺し、実存をかけること」辺見庸はいま、そう考えている。と「自分の中のシニシズムを殺す」という章で書いている。この本の写真、また森山大道が担当している。森山という写真家は政治を語る人を冷笑し、シニシズムに安住する男だ。辺見庸と…
写真をムダにたくさん撮ってはいけません。欲しいイメージを必要なだけ撮ること。フィルムならどうにでも料理できるし、捨てるショットは1つもないけど、デジタルデータは片っぱしから消去する俺だ。