2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧
神無月リナと同じ誕生日の緒川たまき〜さん!言ってしまうと、1972年の2月11日…産まれました。
俺が29歳頃のスケッチブックである。まったく!ヒデ〜絵を描いたもんだ。
カート・コバーン 。パールジャムのエディベーダーが言っている。カートコバーンが生きていたら…「彼が一番オレの活動を褒めてくれるだろう。」
俺もフリーの報道カメラマンをやっていた。当時FOCUSエンマFridayと写真雑誌が乱立して、18歳の俺は契約カメラマンになれっこないから、とにかく街を彷徨き写真を撮って持ち込みしていた。サイレンが聞こえれば飛んで行き、歌舞伎町や渋谷池袋、イベント、…
アサヒカメラや日本カメラの編集部にはよく持ち込みに行った。掲載されるとしても多くて5ページである。5ページ載せるためには、暗室で200枚のオリジナルプリントを焼き付けしなければダメだ。効率の悪いお仕事さ。
前田敦子がカンヌのレッドカーペット歩くのだ、すでに又吉が劇場でノーベル文学賞にノミネートされても誰しも納得するね。そんなもんさ。「リアル」は天才的な「普通らしさ」なのだ。夢野久作も奥村欣央の小説も、あまりにもキチガイじみて誰も読まね〜な!
野見山暁治に習うと、こんな素晴らしい傑作デッサンなどカンタンに描けてしまう。
普通に人気者のラッセンが億万長者なら、ゴッホは弟さんから、今の日本円にしたら、15万円の仕送りで生活していた。俺も上原二郎も月に12万円で生活しているから、なんとゴッホより貧乏人である。
麻生三郎と仲が悪かった脇田和であるけれど、驚くほどの共通性がある。つまり、ポエティックで造形を自ら無力化させてしまったコトである。
そもそもヴォルスは写真家であった、マンレイは画家であった、写真家と画家は両立するということで、俺は小説家でもあるから、まぁ〜遊ぶ暇なんてないね。
俺の絵で最もミニマルアートになった油絵で、しかし造形をキープしているのは、深沢さんといい勝負や!1985年に描いた奥村欣央〜20歳の作品だ。
サインしてもらった。
1989年油絵を最近、加筆して完成した。
芸術家の俺が見るとツマラナイな、「過ぎたるは及ばざるが如し」って言葉がある。彼らのやり過ぎ感は、芸術と呼ぶには弱すぎる。障害者の俺が芸術を簡単に創り続けるには、半端ではない美術教育を叩き込まれたからで、「完成」という概念と技術を身に付けて…